太極拳の創始者張三丰はなぜ伝説にされてしまったのか

考証学という事実に基づいて書などを検証する大家である人物が、張三丰が内家拳法という太極拳の原点を創始し、道教内において、脈々と清朝が滅びた頃までは、新しい政府も、武当山を太極拳の源流として明確にしており、あたりまえに張三丰が太極拳の創始者であると知れていたにも拘わらず、近代において大きく歴史が塗り替えられ、多くの人がそれを信じています。なぜ、その張三丰が伝説にされてしまったのかは、中国の近代史をひもとけば簡単に分かります。
新しい中国の共産党は、太極拳に対して、自ら新しい太極拳を制定するなど、その上スポーツ競技として、世界に広め、相当な入れ込みようでした。
もしたかが太極拳ならそこまで入れ込むことが無かったと言うことです。中国民衆は、歴史上、徳のない施政者は民衆の蜂起で打倒するというのが、古くかからのあたりまえでした。その武器が徒手殺戮術であり、そして、人々の心つなぐツールでした。
古き伝統を葬り去り、新しい秩序を作るのは、新しい中国の絶対的絶大な、強迫観念的ともいえる使命でした。日本で言うお伊勢参りのように信奉された武当山、その最高峰にいた、張三丰を神格化した「玄天上帝」そして、張三丰は、真武や玄武と呼ばれ、人々の武の象徴でした。太極拳も葬られた太極拳と、新しく作り上げられた太極拳があるという事です。葬られた太極拳は今もどこかでちゃんと生きています。

明の時代の仙人であり、太極拳の創始者、張三丰は、世間で数多くの奇跡を起こし、多くの王族や貴族、権力者が彼に会いたがって、相次いで招待状を送りました。しかし、縁がなければ、例え目の前に立っていてもその人が誰なのか分からないものです。縁があれば、常に人にやさしく接し、他人を思いやれる人は、いずれ仙人から恩恵を授かるでしょう。

情報源: 張三丰から恩恵を受けた学生と老人

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