文化大革命で葬り去られた太極拳

太極拳の創始者張三丰は、道教の三丰派を起こし、属する全真教を中国唯一無二の人々の信仰対象となる存在まで発展させた人物です。清朝が滅びた後も、三丰派では太極拳は盛んでしたが、歴史は残酷にも全てを葬り去りました。それでは、今残っている武当山は?ということになりますが、それは近代史をよく読むとすぐに分かります。どちらにしても、今の武当山の太極拳は「今の武当山の太極拳」ということは明らかです。残るは、当時の文化大革命から国外へ逃れた武当山の師範、中国政府から隠れ住みながら、密かに、5000年以上もの秘宝を捨てるわけにも行かず、また、中国人に伝承するわけにも行かず、苦しい中で微かな伝承のための光を捜し求めました。

文化大革命で災難に遭った恐れ   中国共産党が政権を取った後に提唱した唯物論と極左論は、自然への従順や天人合一を唱える道教とは相容れないものであり、かつて尊ばれた聖人と古典が、毛沢東が主導した文化大革命で弾圧の対象となりました。僧侶と道教徒は還俗させられ、労働収容所に送られました。経典は燃やされ、道教の寺院は強制的に取り壊され、人々は毛沢東の「天と地に戦い」の考えを植え付けられました。この大惨事では、中国五千年の神文化に残された宝物や文物のほとんどが破壊されました。

情報源: 道家の聖地 – 武当山(二)

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