太極拳の祖師・張三丰について

歴史の記録を見ると太極拳の創始者は確かに張三丰であり、中国では完全に抹消された武当山の、海外へ流出した正式な記録では、今の85式太極拳(元は楊家108式)は武当三丰108式(中国でも形だけ復興されています)と全く同じであるにも拘わらず、張三丰が伝説扱いされているのは、中国政府の近代史をよく研究すれば全て理解できます。

太極拳の祖師——真人張三丰 武当山は古来より道教の活動が盛んな場所でしたが、真に有名になったのは、真人である張三丰と彼が創設した太極拳法でした。 張三丰は、南宋淳祐7年(西暦1247年)に生まれ、宝鶏金台観で生き返ったことがありました。約300年後に明王朝に彼のことを見たと言う人もいましたが、その後、張三丰の姿が消えました。世の中では、彼がすでに仙人になったと噂されていました。 『明史』によると、張三丰は「身長高、体や耳が大きく、丸い目、矛のようなひげ」という記載があります。 夏でも冬でも道衣と蓑衣しか着ていません。彼はかつて武当山を訪れ、「この山は将来必ず繁栄するだろう」と語りました。その時、ちょうど戦乱で武当山の道観が破壊されました。張三丰と弟子たちは様々な困難を克服し、道を切り拓き、屋を築いて、身を隠しました。 張三丰は世界でも類を見ない武道の達人でした。少林拳や剣術など多くの武術に精通していただけでなく、内的修養を積んだ内家拳の達人であり、太極拳の創始者でもあったと言われています。

情報源: 道家の聖地 – 武当山(一)

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